翻訳と辞書
Words near each other
・ トーマス・ローレンス (画家)
・ トーマス・ワシュベリ
・ トーマス・ワッツ
・ トーマス・ワンカー
・ トーマス・ワンダー
・ トーマス・ワージントン
・ トーマス・ワーナー
・ トーマス・ヴァイクス
・ トーマス・ヴィクストロム
・ トーマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯)
トーマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)
・ トーマス・ヴィルサック
・ トーマス・ヴェルメーレン
・ トーマス・栗原
・ トーマス嶋田
・ トーマス教会少年合唱団
・ トーマス栗原
・ トーマス永井
・ トーマス玲奈
・ トーマス転炉


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

トーマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵) : ミニ英和和英辞書
トーマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)[はくしゃく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 

トーマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵) ( リダイレクト:トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵) ) : ウィキペディア日本語版
トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)[はくしゃく]

初代クラレンドン伯爵トマス・ヴィリアーズ英語:Thomas Villiers, 1st Earl of Clarendon, 、1709年 - 1786年12月11日)は、イギリス政治家外交官貴族
== 経歴 ==
1709年に第2代ジャージー伯爵とその妻ジュディスの間の次男として生まれる。
イートン校を経てケンブリッジ大学へ進学したが、学位をえずに退学し、外交官となった。1737年にはポーランド王・ザクセン選帝侯アウグスト3世の宮廷に特命使節(envoy extraordinary)として派遣され、1740年には全権公使(minister-plenipotentiary)となる〔。1742年から1743年にはウィーン公使となり、その後、オーストリア継承戦争の進展を報告するためにポーランドへ送られた〔。1745年から1746年にかけてはプロイセン王国ベルリンに弁理公使 (minister resident)として駐在〔。
1748年にはプロイセン王国から男爵位を贈られた〔。1748年2月に外交官職を退任し、以降は本国政界に専念。1747年から1756年までから選出されてホイッグ党庶民院議員を勤める〔〔。1756年6月3日にはグレートブリテン貴族カウンティ・オブ・ウィルトシャーにおけるヒンドンのハイド男爵( Baron Hyde of Hindon in the County of Wiltshire)」に叙され、貴族院議員に列した〔〔。
1763年9月9日には枢密顧問官(PC)に列した。1763年から1765年までグレンヴィル内閣でを務め、ついで1771年から1782年までノース卿内閣でを務めた〔。
1776年6月14日にグレートブリテン貴族「クラレンドン伯爵」に叙せられた。1773年から1786年まで小ピット内閣でランカスター公領担当大臣を務める。1786年9月からは郵政長官に転じるが、同年12月11日ハートフォードシャーワトフォードで死去し、同地に埋葬された〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トマス・ヴィリアーズ (初代クラレンドン伯爵)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.